

2019年05月27日
TSUTAYA 渋谷にて | Skateboard
外国人観光客が集まる渋谷のスクランブル交差点、その正面にドーンと建っているTSUTAYA SHIBUYA 。スケートコーナー、今月一杯やってます! 「SWITCH」「JUDO AIR」に「魚眼人」って!!! そんなセレクションでいいんですか? 感謝です。実はこの建物のなかに入るのは本を納品するときが初めてだった。一階の入り口はいつも混雑してて、微妙に入りにくかったのかもしれない。とは言え、ちょっと興味があったのは2階スタバの窓際のカウンターからみる景色はどんなだろうと。その光景はそこから見えるものよりそれを撮ろうとする人々の数に驚いた。一体窓の外で何が起こってるんだと思わせるほどの熱狂ぶりだ。ただスクランブル交差点を人が往きかってるだけだ。他人が何に興味をもつのかなんてわからない。外国人と一言で言っても人それぞれで、その人にとってみれば初めてのものを実際にみている。
土曜の午後はナイキSB主催のガールズスケーターイベントが屋上でライディングセッションと7階のカフェでガールズ、スケータームービー『Gizmo』もプレミア上映された。こういう流れもありですね。
TEXT YOSHIRO HIGAI
【POP UP予定期間】2019/5/25(土)〜5/31(金) @SHIBUYA TSUTAYA 6F
Rooftop Skate Park。ガールズスケーターによるライディングセッション!
TSUTAYAの屋上が1夜のみスケートパークに! 超スペシャルなSK8イベントが開催された。5月25日(土)
セッションのあとはさらに話が弾むね。みんなたのしそう!!
先駆けて、ガールズスケーター『Gizmo』のプレミア上映も
この日、NIKE BS AJI【Nike SB × JORDAN BRAND】Air Jordan 1 Defiant 1s “LA to Chicago”が世界中で解禁。
「スケートボーディングメガゴーゴー」宝島主催ミス・スケートボードコンテスト? 芝浦 1987年 写真集 『JUDO AIR』より 著者 樋貝 吉郎
東京をはじめ北はBBA、全国でスケートボードが熱くなっている。うれしいじゃないですか。そのひとつが、ここだ。
Nike SB dojoは、4月にオープンしたNike SB発の新しい室内大型スケートボードパーク。東京の天王洲アイルで充実したセクションを無料で利用できるのはNIKE SPORTS FINDERだけ。ドロップイン利用からイベントの予約を全てSPORTS FINDERで。
posted by 🐼スタッフ📝 at 13:58
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2019年05月18日
LOVE SKATEBOARD JAPAN 2019 | adidas
本日18日から展示が始まる『 LOVE SKATEBOARD JAPAN 2019』に参加させてもらっている。
作品タイトルは『1986』。1986年8月25日に撮影した写真を翌年スケートボードに転写したものだ。1986年21歳の夏に初めて海外に行った。アメリカ西海岸一人旅だ。とにかく見るものすべてが新鮮で、数限りなくシャッターを押しまくった。
そのなかで、ほぼ、奇跡のようなタイミングで撮れた写真である。ベストショット中のベストショットだ。カナダのバンクーバーEXPOで初めて世界中からスケーターが集まるようなコンテストが開かれた。ノースバンクーバーでのボウルコンテスト。86年当時で既に風化したコンクリートボウルにはTHRASHERやTWSのカバーを飾るスケーターが大挙して集まった。バンクーバーとカリフォルニアはまるで違う。そもそもカナダはアメリカと地続きだが中身は大違いだということを知ったのはそのときだ。日本人の僕らが来日するアメリカ人スケーターに興奮するのと大差なくカナダ人たちもアメリカから来たスケーターを初めて自分の目で見て高揚していた。自分からしたら見た目は変わらないし、英語も普通に話せるのにって感じなんだけれどね…。
カナダのバンクーバーを中心としたスケーターたちほぼ全員がそこに集結していたと言っても過言ではない。ボウルのまわりをギャラリーが幾重にもぐるりと囲んで一睡の余地もないほど身動きがとれないようにみえるなか、パーティ明けで遅刻してパークに現れたホソイ。
誰もが待ちわびていたスーパースターの登場に会場はざわめく。あきらかに二日酔い。ヘルメットを忘れたのか。マイク・マッギルのフライアウェイをかぶった。余裕をもて余しながら、ボウルにドロップ。フロントサイドとバックサイドのカービングは、どよめきと歓声を引き連れコンクリートを疾走するウィールはうなりをあげて加速する。本戦で一発だけ放った会心のメソッドをこれ以上ないであろうアングルとタイミングで残せたのは、ほんとうに奇跡だ。
スケーターの一番の見せ場を最前線で押さえるのが自分のポリシーだ。その日は、ボウルのディープエンドでのジャンプランプ的ロケット発射だった。ギャラリーギリギリにランディングするのだから、見ている方もスケーターの動きに応じて引く潮のように寄せたり引いたりしないといけない。当時のフィルムを見返してみると、アクションに対して一枚しか押していない。連射はしていない。滑っているスケーターと一体となる決意のようなものがあった。
このスケートボード作品は、写真学科で芸術を専攻していた32年前、スケートボードと写真が結合したアートオブジェを作れないかという思いで制作した。
元の板は原宿のムラサキで購入したシュミット・スティックスのジョン・ルセロ モデル。クールなドックタウンを買うという手もあったが、仕上げがキレイで軽量なシュミットを選んだ。今思えばちょっと理解できない。結局グラフィックが気に入らず作品のキャンバスとなる運命を辿るわけだが。ノーズはこれにあわせて自分でシェイプした。
肝心の写真をどうやって板に転写したかというと、当時発売されたばかりのアート エマルジョンという富士フィルムの液体印画紙的なものを使った。幸いこの写真はカラーネガで撮っていたので、モノクロでプリントすることが出来た。手順はこうだ。黒くスプレーで塗ったスケートボードに白いペンキで写真を転写する四角いスペースを作る。次は暗室でアートエマルジョンの溶剤を白い部分に塗り、露光させて現像、停止、定着、水洗と通常のモノクロの引伸と同じ行程になる。板が大き過ぎて、普通のバットには浸からないので刷毛を使って薬液をかけて処理をした。こんな感じだったと思う。あとは乾燥させクリアニスを塗って、ステッカーを貼って完成だ。
出来上がったデッキの運命はさらにアートを突き進むこととなった。当時好きだった写真家でベルナール・フォコン(Bernard Faucon)という人がいて、マネキンに火をつけたり、いろんなものを爆破させて撮影、表現していた。その当時、コンセプチュアルアートが流行っていたのだ。その彼になぞって、僕はスケートボードの板に火をつけた。
・・・。
TEXT YOSHIRO HIGAI
Christian Hosoi Seylynn Skate Park North Vancouver 1986. 誰よりも高く飛んでスタイルを決めるのは流石。ヘルメットはマッギルから借りたであろうスネークのグラフィックがあしらってある白いフライアウェイ。
写真とスケートボードの結合。シュミットのレールやステッカーが時代を語る。
30年の時を経てもアートエマルジョンは残っていた。
炎に囲まれた樋貝。課題を台紙に貼るために使う緑の缶のペーパーセメントという糊があった。その薄め液が赤い缶のソルベックス。スケートボードの板の上にソルベックスを撒いて火をつけた。結果、火はしょぼく、想像していた高々と上がる火柱にはほど遠かったせいぜい、すね毛が燃える程度。同級生がスナップを撮ってくれた。ライフザビーチの上下を着てなんだかうれしそうな22才の自分。助手の人が通りかかったけど、ちゃんと火の始末しとけよ。くらいしか言わないのんびりとした時代。

会期 2019年5月18日〜31日
会場 アディダス オリジナル フラッグシップ ストア トウキョウ
渋谷区神宮前5-17-4
#skateboardinghistory #Vancouverexpo86 #seylynnskatepark #christianhosoi #adidas
posted by 🐼スタッフ📝 at 16:21
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本日18日から展示が始まる『 LOVE SKATEBOARD JAPAN 2019』に参加させてもらっている。
作品タイトルは『1986』。1986年8月25日に撮影した写真を翌年スケートボードに転写したものだ。1986年21歳の夏に初めて海外に行った。アメリカ西海岸一人旅だ。とにかく見るものすべてが新鮮で、数限りなくシャッターを押しまくった。
そのなかで、ほぼ、奇跡のようなタイミングで撮れた写真である。ベストショット中のベストショットだ。カナダのバンクーバーEXPOで初めて世界中からスケーターが集まるようなコンテストが開かれた。ノースバンクーバーでのボウルコンテスト。86年当時で既に風化したコンクリートボウルにはTHRASHERやTWSのカバーを飾るスケーターが大挙して集まった。バンクーバーとカリフォルニアはまるで違う。そもそもカナダはアメリカと地続きだが中身は大違いだということを知ったのはそのときだ。日本人の僕らが来日するアメリカ人スケーターに興奮するのと大差なくカナダ人たちもアメリカから来たスケーターを初めて自分の目で見て高揚していた。自分からしたら見た目は変わらないし、英語も普通に話せるのにって感じなんだけれどね…。
カナダのバンクーバーを中心としたスケーターたちほぼ全員がそこに集結していたと言っても過言ではない。ボウルのまわりをギャラリーが幾重にもぐるりと囲んで一睡の余地もないほど身動きがとれないようにみえるなか、パーティ明けで遅刻してパークに現れたホソイ。
誰もが待ちわびていたスーパースターの登場に会場はざわめく。あきらかに二日酔い。ヘルメットを忘れたのか。マイク・マッギルのフライアウェイをかぶった。余裕をもて余しながら、ボウルにドロップ。フロントサイドとバックサイドのカービングは、どよめきと歓声を引き連れコンクリートを疾走するウィールはうなりをあげて加速する。本戦で一発だけ放った会心のメソッドをこれ以上ないであろうアングルとタイミングで残せたのは、ほんとうに奇跡だ。
スケーターの一番の見せ場を最前線で押さえるのが自分のポリシーだ。その日は、ボウルのディープエンドでのジャンプランプ的ロケット発射だった。ギャラリーギリギリにランディングするのだから、見ている方もスケーターの動きに応じて引く潮のように寄せたり引いたりしないといけない。当時のフィルムを見返してみると、アクションに対して一枚しか押していない。連射はしていない。滑っているスケーターと一体となる決意のようなものがあった。
このスケートボード作品は、写真学科で芸術を専攻していた32年前、スケートボードと写真が結合したアートオブジェを作れないかという思いで制作した。
元の板は原宿のムラサキで購入したシュミット・スティックスのジョン・ルセロ モデル。クールなドックタウンを買うという手もあったが、仕上げがキレイで軽量なシュミットを選んだ。今思えばちょっと理解できない。結局グラフィックが気に入らず作品のキャンバスとなる運命を辿るわけだが。ノーズはこれにあわせて自分でシェイプした。
肝心の写真をどうやって板に転写したかというと、当時発売されたばかりのアート エマルジョンという富士フィルムの液体印画紙的なものを使った。幸いこの写真はカラーネガで撮っていたので、モノクロでプリントすることが出来た。手順はこうだ。黒くスプレーで塗ったスケートボードに白いペンキで写真を転写する四角いスペースを作る。次は暗室でアートエマルジョンの溶剤を白い部分に塗り、露光させて現像、停止、定着、水洗と通常のモノクロの引伸と同じ行程になる。板が大き過ぎて、普通のバットには浸からないので刷毛を使って薬液をかけて処理をした。こんな感じだったと思う。あとは乾燥させクリアニスを塗って、ステッカーを貼って完成だ。
出来上がったデッキの運命はさらにアートを突き進むこととなった。当時好きだった写真家でベルナール・フォコン(Bernard Faucon)という人がいて、マネキンに火をつけたり、いろんなものを爆破させて撮影、表現していた。その当時、コンセプチュアルアートが流行っていたのだ。その彼になぞって、僕はスケートボードの板に火をつけた。
・・・。
TEXT YOSHIRO HIGAI
30年の時を経てもアートエマルジョンは残っていた。

会期 2019年5月18日〜31日
会場 アディダス オリジナル フラッグシップ ストア トウキョウ
渋谷区神宮前5-17-4


代表:樋貝吉郎
職業:Photographer
子供の頃の夢&スキな漫画:忍者。カムイ伝
好きな食べ物:ナッツ全般、リンゴ、干しいも、干し柿、鰻、河童巻き
尊敬する人:子供のとき伝記を読んだ影響で エジソン
